(^・ㅅ・^=)~招き猫の、おさらいニャ~(=^・ㅅ・^)
前足の片方を挙げて手招きしている、いわゆる招き猫。
江戸末期には出現していたとされ、一般的に右手を挙げているものは金(財福)を、 左手を挙げているものは客を呼び込む縁起物として今日も愛されています。
家の玄関や商店の店頭に飾って『開運招福』『千客万来』『商売繁盛』を祈願し、古くは養蚕守護の鼠除けの猫とされ、昨今は縁結びの神様とされるまでになりました。
古今比売鑑・薄雲(ここんひめかがみ・うすぐも)
時は江戸の新吉原「三浦屋」に、大の猫好きで知られた薄雲太夫という花魁がいました。
花魁道中(今でいうランウェイ: runwayのような風俗)にも愛猫タマを抱いて歩き、寝床や厠(トイレ)まで一緒に連れてまわる超愛猫家でした。
「薄雲は魔性の猫に魅入られた」との噂(嫉妬だニャ)が界隈で囁かれる。
そんなある日。
厠に入ろうとする薄雲の裾をタマが付きまとって離れません。
大夫の身を案じた三浦屋の主人は、タマの首を打ち落としてしまいます。
刎ねられたタマの首は宙を舞い、厠に潜む大蛇をかみ殺して薄雲を助けました。
タマの死を嘆き、悲しみに暮れる薄雲のため、贔屓客が高価な香木の伽羅で猫の姿を彫らせて贈りました。
その猫人形の類似品が浅草の歳の市で売り出されるようになり、招き猫の起源になったとする説。
~薄雲伝記~薄雲は信州(長野県)埴科(はにしな)郡鼠宿(ねずみじゅく)の出身。舞伎(ぶぎ)に優れ、猫を愛し、1700年(元禄13)7月に350両で身請けされています。
自性院(無量寺)
東京都新宿区の自性院に、招き猫の起源の地とする2種類の説があります。
ひとつは、大田道灌(おおたどうかん)が江古田ケ原の戦い(1476年~1478年頃)で、劣勢に立たされ道に迷っていたところに猫が現れて手招きをし、自性院に案内しました。
窮地を切り抜けて盛り返すことに成功した道灌は、この猫の“地蔵尊”を奉納したという謂れから、招き猫の起源だというものです。
もうひとつは、江戸時代中期に、子供を亡くした豪商が、その冥福を祈るために猫地蔵を自性院に奉納したことが起源だとされています。
※猫地蔵尊は秘仏となっており、普段は拝観できません。
2月3日の節分会にのみ開帳されていて、この日は招き猫なども授与されます。
猫地蔵堂内は撮影禁止です。
新宿観光振興協会サイトhttps://bit.ly/2VUR0QZ
日本最古の黒招き猫伝説~黒猫は主夜神(しゅやじん)尊の御使い~
浄土宗の檀王法林寺(だんのうほうりんじ)には、江戸の中頃より主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られ授与されていたと伝わり、招き猫の起源の一つとされています。
檀王法林寺を開山した袋中(たいちゅう)上人の枕元に主夜神が現れ、
「われは華厳経に説き給ひし婆珊婆演底主夜神なり。専修念仏の行者を擁護すべし」 と告げ、符を授けたとして主夜神尊が祀られています。
「恐怖諸難を取り除き、衆生を救護し、光を以って諸法を照らし、悟りの道を開かせる」なるほど、人生を明るく照らしてくださる神様のようですね。
さらに主夜は守夜と転じて、夜を守る神として崇められ、盗難や火災などを防いでくれる神として、その御使いは古くから黒猫とされてきたとのことです。
夜を守る神様と、闇夜に眼を光らせる黒猫とが結び付けられているのでしょう。
猫神様の像があるくらいですから招き猫の起源だという説も、かなり説得力がありますね。
檀王法林寺ホームページhttp://www.dannoh.or.jp/
招き猫の起源については豪徳寺と今戸神社も有力ですし、確証はないようですね。
次回の記事では、招き猫を使って自宅をパワースポットに変える『風水』をご紹介します!